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2026/1/22 夢の始まりの場所
四六コノエ

 それはずっと昔の話やね。

 あの子が片言を卒業して、外の世界とふれあえるようになった頃、その年頃にしてはちょっと難しすぎる本を二冊、もらったんよ。それが《枕草子》と《竹取物語》やった。

 《竹取物語》の話は、頭の中でぐるぐる回って、ずっと離れへんかった。五つの宝、天の羽衣、月の軍勢、不死の霊薬、地上の穢れから遠く離れた月の都……それに、賢明で清く美しい月の姫君——

 ……その後、中学生になった頃、あの子は「新訳・竹取物語」みたいな短い話を書いた。今から見ればほんまに稚拙やけど、登場人物たちは手放さへんと、ずっと心の中におるんよ。今にして思えば、ほんまに不思議なご縁やなぁ。ビジュアルノベルを作り始めようと思ったのも、やっぱり《月姫》への憧れがあったからやし。不死っていうテーマも、その後あの子が綴る物語の中で、ずっと探求し続ける核になっていったんやと思う——

 ——それで、時は流れて、映画を見終えた今。

 たぶん諦めることはないんやろけど、今はなんや、胸の中に込み上げてくる感情がある……。遊戯王もプリキュアもあるし、カードゲームや魔法少女の話をあんまり自分で作ろうとは思わへんのと、よう似てるなぁ。単にこの話が好きやっていうだけやなくて、ずっと探し求めてきた答えをもろたみたいな、そんな気ぃがする。

 夜想世界があるべき終着点。

 あの方は八千年という時を経て、いろんな戦争や残酷な出来事、死や断絶を目の当たりにしてきはったのに——最後は自分の信念で、微笑むことを選びはった。偏執にとらわれて狂うようなこともあらへんかった。そして、彼女の愛する人もまた、人の身でありながら八千年もの悲劇を受け止めて、それでも前を向くことを選びはった。どっちも、アラヤとかマトウゾウケンみたいなもんにはならへんかった。これこそ、奈須さんの格言「人類皆強大」を、ちゃんと見せてはるんやなぁって、思うた。

 どれだけ苦しい歴史を経験しても、この旅の物語を聞いた人はみな、この感情を次へ伝えていきたいと思うてはる。未来には、きっとええ時代が来るやろ。その証明がなされる日まで、こんなふうな話を語り継いでいかなあかんのやと。

 八千年もの時が流れても、愛は決してすり減らへん。これこそが、人類の旅路において、一番値打ちのある答えやと思う。

 ……うちらが今生きてるこの世代かて、また戦火に見舞われるかもしれへん。せやけど、その時すべてを乗り越えたあとに残るもんが、どうか「愛」であってほしい——そんな時代が来るのを見届けてみたい。

 ああ、八千年の旅の果てに、うちはもうこらえきれへんくて、涙が止まらんようになってしもたんや。

 大切なメロディは流れてるよ———

2025/4/3 オブリビオニス
四六コノエ

 ネットには、風向きだけ見て発言する人や、まとめだけ読んで語る人が多すぎる。ほんま、不快や。

 こういう現象は、台湾でとくにひどい気がする。「字が多すぎて誰が最後まで読むねん」みたいな空気が強いし、それに加えて、誰かを偶像みたいに崇めるのも好きや。

 とりわけ、厳しい言い方で叩いて、汚い言葉も平気で吐く発言者ほど、簡単に支持を集めて、周りもその言い分に乗っかりがちになる。そういう人らが、SNSやユーチューブの動画で、前後の流れを切り落としたまま何かを批判したら、流される人らは次々「それが事実なんや」と思い込んで、いっしょになって笑って叩き始める。

 マイゴとムジカも、まさにそれやと思う。もちろん、うち個人の見方としては、アヴェムジカの脚本の筋には確かに粗さがあるし、前作の椎名立希の時と同じように、八幡海鈴の出番が削られて、人物像が薄うなってしもてる。
 せやけど、これを綾奈ゆにこさんのせいにする気にはならへん。ムジカの脚本の大部分は、そもそも綾奈さんが書いてはるわけやないから……。

 このへんは、また機会があったら話す。今日は祥子ちゃんのことが言いたい。

 台湾のネットでは、祥子ちゃんのことを「自分勝手」「ろくでもない人間」「祥子推しは肉体が好きなだけ」みたいに言う人がおる。ああいう気持ち悪い言い草、うちは到底納得できへん。むしろ、そう言うてる人らは、マイゴとムジカを実際に見てへんのやないやろか。見たとしても、物語の中身が理解できてへんのやと思う。
 

 祥子ちゃんがどんな性格かなんて、マイゴ第三話の時点で、もう一目で分かる。

 自分の身の危険もかえりみんと、誰かが危ないことをしそうになったら止めに行く。まっすぐで、率直な子や。自分の膝が傷ついてても気づかへんくらいに。

 みんなに大事にされて育った富豪の令嬢やのに、初めて会う相手にもよう気を配って、いっしょにおるとあったかい。

 人づきあいが苦手なともりんのために、そよと睦ちゃんを連れてともりんの家の下まで来て、ともりんがみんなのことを知って馴染めるようにしてくれた。

 ともりんの前で、そよのチェロの腕前をちゃんと褒めて、あとでみんなにともりんを紹介する時には、作詞の才能を「天才」って言わんばかりに強調してた。

 友だちのええところを、惜しまず言葉にして讃えられる子——祥子ちゃんは、そういう子や。

 ともりんが怖がって一歩を踏み出せへん時も、祥子ちゃんが励まして、導いてくれた。ともりんが笑うた時には、笑った顔がええって言うて、もっとその笑顔が見たい、っていう気持ちまで伝えてた。
 

 話はそれるけど、あそこでパスパレの《もういちど ルミナス》を使ったん、わざとやと思う。睦ちゃんが歌った箇所が「燈っているから」やなんて、偶然なわけあらへんやろ……!!!
 

 それに、ともりんが書いた歌詞を読んで、その中身に胸がいっぱいになって涙が出てしもた、あの感性——もう、千の言葉でも足りひんくらい、祥子ちゃんがどれだけええ子か、うちには言い表されへん。

 バンドが解散したあとも、祥子ちゃんはライブ会場まで来て、ともりんを見守ってた。
 そして、ともりんが歌えへん時には、勇気をくれた……せやのに、そのあとで、楽奈ちゃんの無邪気な演奏が祥子ちゃんの心を傷つけてしもたのが、ほんまに辛い。

 性格の話はこのへんにして、次は才能の話やね。

 祥子ちゃんはピアノが上手いだけやなくて、編曲もできる。音感も鋭くて、曲の足りないところを、わりと簡単に直してしまえる。
 バンド解散の件のあと、立希が新しいバンドの中でそれを思い出して、比べられてるみたいな重さを感じたんも、分からんでもない。

 人の才能を見抜く目も、ほんまに鋭い。クライシックでもアヴェムジカでも、祥子ちゃんが集めたメンバーはみんな才がある。

 それに、自分が扱える主題や作風を、実に巧みに使いこなしてた。ムジカの時期には、自分の好きな西洋ゴシック劇場ふうの世界観を前面に出して、あっという間に名が広がって、武道館公演まで行けた……もちろん、その裏に豊川家の後押しがあったんは否定せえへん。けど、本人に力がまったくあらへんのやったら、どれだけ資金を積んでも無理や。

 もし祥子ちゃんの欠点を挙げるとしたら、ちょっと頑固なところやと思う。

 せやけど、その頑固さがあったからこそ、父の面倒を見て、いくつもの仕事をきっちりこなし、音楽と舞台に全身全霊を注ぎこんで、最後には豊川家にきちんと逆らうこともできたんやと思う。ほんまに、両刃の剣みたいな意志力やね。

 その頑固さで、うちが唯一悔やんでるのは、もしあの時、祥子ちゃんがちゃんと話してくれてたら——もし祥子ちゃんが去ったあと、ともりんが睦ちゃんと一緒に追いかけていけてたら、きっと何もかも少しは良うなってたやろうってことやね。

 みんな、きっと泣きながら抱き合って、ともりんは「祥子ちゃんが帰ってくるまで、私は待つ。……一生」って、そんなふうに気持ちをそのまま口にしてたんやろなぁ。
 

 たとえ誰かの人生をほんまの意味で背負うことはできひんのやとしても、君がおるって思えるだけで、私はまた前へ進んでいける——
 

 ......そんな世界で唯一あり得る欠けたところがあるとしたら、たぶん、マイゴがあらへんせいで、あのんちゃんの心の引っかかりだけは解けへんことなんやと思う。

 ここまでの性格から考えると、祥子ちゃんがクライシックのメンバーに自分の状況を言わへんかったんは、自分の問題でみんなを巻き込みたくなかったからやと思う。

 それに、いくつも仕事を掛け持ちしながら、仕事のない父の面倒も見てたら、練習も編曲も続けるのは確かに難しい。せやから、わざと悪者になってバンドを終わらせて、ほかの子らがそれぞれの未来へ進めるようにした……。

 自分はぼろぼろになっても、ともりんのことは黙って見守り続けてた。そんな祥子ちゃんを見ると、うちはほんまに胸が痛い。
 

 ムジカの筋が散らかって見えるところについては、今日は全部は言わへん。そもそも、にゃむがやったことが発端でこうなったのに、そのにゃむ自身があとになって祥子ちゃんに説教みたいなことをして、「スタッフや観客のことを考えてへん」みたいに責め出す、あの理屈の破綻した滑稽な場面のことも、ひとまず置いとく。台湾では、そういう前提を無視して、祥子ちゃんばっかり叩く人が多い。

 正直、うちは意味が分からへん。

 人なら誰でも崩れる時もあれば、間違う時もある。まして、まだ十五歳の女の子や。祥子ちゃんは、何も心配いらん裕福な暮らしからどん底へ落ちて、昼は新聞配達、放課後はカスタマーサポートのアルバイト、夜中は作曲と練習……うちから言わせてもろたら、あれこれ軽々しく叩いてる人らに、同じことができるとは思わへん。

 アニメの内容を読み取る力もなくて、自分でちゃんと見ようともせずに、ネットの評判だけ信じてるんやったら——今でも親に昼ご飯代をねだって生きてても、おかしないんちゃうか。

 ……暴言やった、失礼した。
 

 せやから、三角初華と祥子ちゃんのカップリングには、うちは正直ぴんときいひん。脚本が無理やり推そうとしてるような、人工的な匂いがしてしまう。

 祥子ちゃんとともりんのほうが、ずっと唯美で胸がきゅっとするし、祥子ちゃんと睦ちゃんですら、まだあのカプよりうちの心に響くくらいや。
 

 ほんまは、ガルパで祥子ちゃんとともりんが同じ画面におるカードを出してほしい。できることなら、アニメで互いに手を伸ばしたのに届かへんかった、あの悔しさを埋めるようなやつがええ。

 ふたりがちゃんと手を取り合えて、そのうえ小指まで引っかけ合って、幸せそうに笑うてる場面が見たい——
 

 そういや、うちがこんな日記を書いたんは、依佳さんにちょっと腹が立ったのも理由のひとつや。依佳さんがSNSで、祥子ちゃんを叩いてる掲示板の流れの中でマイゴの話をしてた時に、ふだんは祥子ちゃんが好きやって言うてるのに、「祥子が好きだけど、なんで好きか自分でも分からない」みたいなことを言うてしもた。

 それが結果的に、祥子ちゃんを叩く人らに「ほら、好きや言うてる本人ですら、どこがええのか説明できてへんやん」って言う口実を与えてしもた気がして……ああいう場で、あんな中身のないことを言われたのがほんまに腹立たしくて、もう三日くらい依佳さんとしゃべりたないぐらいやった。
 

 あぁ、なんて生きづらい世界なんだろう——